記憶を巡る道

それは

私の道を歩むこと

あの頃の、私の道を、また、歩むこと

過去の記憶を甦らせ、その記憶の中を生きる

その覚悟ができた

その為に

私は過去の記憶を甦らせる地に辿り着いた

過ぎ去った過去と現在との境目なども関係ない程に

お互いが絡み合い存在する

その道を歩んできた私でさえ、迷い子のようにさ迷う

私の記憶は時折、時系列の入り乱れによって時間が逆転する事さえある

幼少期の記憶は当時に削除されたままになっていた

極度の現実逃避が私に記憶を消させたからだ

思い出したくない

いや、思い出してはいけない

禁断の記憶が甦ることになる

記憶が無くなった訳ではなく、私の中のどこかのメモリーに記憶されていることに気がついた

当時の新鮮な気持ちのまんま、残されていた

それは、私自身の自浄のため

残されたそのカルマは、私の記憶が甦るのを待っていた

それは、私のために

当時の私には兄弟がいなかった

従兄弟のお兄ちゃんが兄弟のように、仲良くしてくれた

お兄ちゃんは、僕を守ってくれる存在だった

しかし、

お兄ちゃんは、高校生の時、難病で亡くなった

若すぎる死だった

その壮絶な闘病

難病という言葉に手をこまねいている医師

お兄ちゃんの身体は、手術や点滴の針で紫色になり、ぐちゃぐちゃになっていた

末期症状の頃、

親たちがお兄ちゃんの姿を、僕には見せないようにしていた

壮絶な闘病の結果、

結局、お兄ちゃんは還らぬ人になった

大人たちみんなが、泣きながら

「かわいそう、かわいそう!」と、

病室から出てくる様子を、見ていた

僕もお兄ちゃんの側に行きたかった

そして、寄り添ってあげたかった

だけど、大人たちが、必死に拒んだ

僕はお兄ちゃんに声をかけたかっただけなんだ、

しかし、

僕がお兄ちゃんの傍らに寄り添えたのは、

ベッドに横たわるお兄ちゃんではなく、

棺桶の中に納められた、お兄ちゃんだった

僕は、伝えたかったのに

一言、「遊んでくれてありがとう」って

大人たちは、僕の気持ちをわかってくれない

僕に、お兄ちゃんの痛ましい姿を見せまいと、

大人たちが、お兄ちゃんのベッドを囲み、泣きながら

「お兄ちゃん」
「まーくん」
「がんばれ」
「辛いね」
「がんばって」

大人たちが、必死に声をかける様子が鮮明に甦るほどに、

その声が、病室の入り口から聞こえていた

だけど、それから数年後

僕は難病を発症した

小児がんだった。

しかも、骨肉腫という骨の中に発症するガンだった。

当時も、今でも、小児がんは希少ガンとして扱われている

小児がんは、発覚したときには、すでに手遅れになっているケースがほとんどだ。

ましてや、骨肉腫は骨の中に発症するため、痛みや外観に異常が見られなければ、まずわからない。

さらに、その極端に少ない症例は、数百万人に1人程度だったため、経験した医師を見つけるのも難しい位だった

骨肉腫に掛かったら命は助からない

というくらいの時代だった

壮絶な闘病の末に亡くなったお兄ちゃんの病室

あの病室の中でのことが、

また、再現された

「お兄ちゃん、今度は僕の番だよ」

「今度は、僕がベッドに横たわってるよ」

「あの時、お兄ちゃんがしていたように、おんなじだよ」

「大人たちは、みんなが僕のベッドを囲って、こっちを見て、声をかけてくる。」

「お兄ちゃんは、この光景を見ていたんだね」

「あの時の病室の様子、良くわかるよ」

「やっと、わかったよ」

「お兄ちゃんの気持ちが」

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ほっし校長

10歳の時、100万人に1人の確率で発症の希少ガン(骨肉腫)を発症。
主治医からの、ガン告知と右足の切断と余命の宣告。自らの経験から、ガン患者さん、特に小児ガンの子供たちの心を世界中に伝えたい。

At the age of 10, one in one million people develops a rare cancer (osteosarcoma).
Cancer notification, amputation of right leg and life expectancy from the attending physician. From my own experience, I would like to convey the hearts of cancer patients, especially children with childhood cancer, to the world.

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