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【末期小児ガンからの生還】
神様、なぜ僕の命を助けたのですか
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◼️オススメ
小児ガン患者さん、ご両親にもオススメの内容です
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◼️自己紹介
骨肉腫サバイバー
(筆者 ほっし校長)
私は小児ガン(骨肉腫)サバイバーです。
わずか10歳で、末期ガンの告知を受け、手術、闘病を経て、今までの人生を生きてきました。
自らの経験を生かして、小児ガン患者の子供たちの心の支えとなれるよう活動を続けています。
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NO7
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捨てられた私
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私たち家族は、週末になると
母方の実家に泊まりにいっていた
駆け落ちをして一緒になった両親
父方の実家に比べ、
母方の実家はとても裕福な家庭だった
家柄が違いすぎるという理由から
一緒になることを反対されての駆け落ちだった
その後
私が産まれてからは、
母方の実家に出入り出来るようになった
しかし
そこに至るまでに
父と母はとても苦しい思いで生きてきた
昭和44年
季節は桜の花が咲き乱れた後
新芽が吹き出そうとしていた
私は広島市銀山町の廃墟化した病院で
産まれる時を待っていた
戦後に修復を繰り返し施されたこの病院は、
建て替えのために、取り壊す直前だった
どこの病院からも、
産むことを反対された私
出産時、
母体が危険な状態になるおそれが心配されていた
どの病院の医師からも産む許可が出なかった
しかし
広島市銀山町の廃墟化した病院
すでに、
すべての出産入院の受付を
終了していた
母の容態を診断した産婦人科医
しばらく言葉を発せず
重く、思い詰めた表情で
母に伝えた
「私が産ませてあげます」
その医師は
相当の覚悟を決め、強い口調で母に伝えたという
しかし
私を産むことは、
母にとって、とてもリスクのあることだった
母の身体から
引っ張り出された、私
産まれた私は
全く泣きもせず、呼吸もしていなかった
ちょうどその頃、日本中の国民は
皇室での出産を祝っているタイミングだった
私は呼吸をしていない状態で産まれ
両親は、「死産」の言葉が頭から離れなかったという
産婦人科の医師にパチパチと身体をたたかれ
やっと呼吸を始めた(母から教えられた)
私はきっと、
この世に産まれたくなかったのだろう
こんな状態で産まれた私
もちろん、ながい時間の無呼吸からの脳障害
もしくは、他の障害が残る可能性を医師は伝えた
父親は耐えきれず、
母のいる病院から立ち去ってしまった
そして、しばらくの間
母は病院でひとり、
廃墟化した病院のベッドに横になり
私をひとりで育てる覚悟をしていた
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最後までお読みくださり、ありがとうございます。
さて、
次回の内容は
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NO8
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赤子の私、腹部に付けられた焼き印
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お待ちしています
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◼️バックナンバーの紹介
私の著書
【あなたのお時間1分だけください】骨肉腫を発症した僕に起きた奇跡
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