【僕が家庭の平和を壊した日から43年】
 心に光を

どの家庭も皆、同じだろうと思っていた

しかし

間違いだった

皆、子供たちは、我慢して、こんな辛いことに堪え忍んでいるのだと

「僕も、我慢しなきゃ」

自らに、言い聞かせるように、

我慢を続けた

ときには、つらく、耐えがたいことも数多くあった

だけど、辛抱した

「皆、おんなじなんだから」と、

しかし

私への躾は度を越していた

他の家庭とは全く違う

とても厳しく、そして辛く、辛く

それは何度も、何時間も続く、

常に反省、

言い訳は、くちごたえ

目をそらすと、隠し事を疑われた

いきなり平手が、私の顔に飛んでくる

反射的に避けると、また、別の手が飛んできた

世の中で生きていくための常識を身体で覚え込まさせられているのだと、必死で正当化した

常に緊張状態だった

その緊迫感に、母親も近づく事が出来なかった

5歳頃から10年以上の年月をかけて、

家庭内での、上下関係がはっきりとした

そして、

私が10歳になった年の夏

私は、小児がんを発症した

私は、主治医の先生から、末期ガンだと告知された

しかも、

難病の骨肉腫だった

右足付け根部に、発症した骨肉腫の診断は、

同時に、【私の死】を意味した

父親にもその意味がすぐに理解できたらしく、

すぐに、母親に詰めよった

「おい、はっきり言ってみろ、もう助からんのか!」

私は、この世で最も恐ろしいものを目の当たりにした

父親は、見たことの無い程の、切ない顔をしたまま

その場を立ち去った

私と母親は、二人だけ、外来診察が終わった待合室に

ポツンと残された

病院の入り口の自動ドア越しに、夕焼けの真っ赤な光が床を照らした

私は病院の住人となった

その日以降、父親からの「躾」は、しばらく無くなった

あの頃、私は必死に心を閉ざしていた

私は光を要求してはいけないのだと

出来る唯一のことは、閉じこもることだった

だから、私には一瞬の光も届かなかった

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ほっし校長

10歳の時、100万人に1人の確率で発症の希少ガン(骨肉腫)を発症。
主治医からの、ガン告知と右足の切断と余命の宣告。自らの経験から、ガン患者さん、特に小児ガンの子供たちの心を世界中に伝えたい。

At the age of 10, one in one million people develops a rare cancer (osteosarcoma).
Cancer notification, amputation of right leg and life expectancy from the attending physician. From my own experience, I would like to convey the hearts of cancer patients, especially children with childhood cancer, to the world.

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