【片脚の王様】骨肉腫サバイバーの生き方

【片脚の王様】骨肉腫サバイバーの生き方

皆さま、「片脚の王様」と呼ばれているサッカー選手をご存知でしょうか。

「片脚の王様」、「翼の折れた天使」、「魔法の青年」とも呼ばれているサッカー選手のことをご存知でしょうか。

このサッカー選手は、中華人民共和国で、活躍されている方で、何憶義(He Yiyi)さんです。

この方は、私と同じ、骨肉腫サバイバーです。

12歳の時に、左足の付け根上部に、骨肉腫が発症し、結果、左足を切断されました。

私は、10歳の時に右足の付け根に骨肉腫が発症しましたので、何憶義(He Yiyi)さんと近い年齢での発症でした。

何憶義(He Yiyi)さんは、小さい頃からサッカーの才能を認められ、フランスのチームからのスカウトを受け、フランスへの渡航準備中に、左足付け根に痛みを感じて、検査したことで、骨肉腫の発症がわかりました。

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夢の実現直前の発症

運命のいたずら

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何憶義(He Yiyi)さんは、外科手術を受け、左足の切断をされました。

サッカー選手としては、致命的な手術です。

私は何憶義(He Yiyi)さんのお姿を見て、涙が止まりません。

左足を無くした何憶義(He Yiyi)さんは、松葉づえを使って、サッカーの試合に望んでいます。

彼は、義足よりも杖を愛用しています。左足を失っても大好きなサッカーをプレイしている姿にはとても感動します。

しかし、彼はアマチュアリーグでのプレイに参戦することを許可されておらず、それは松葉づえでのプレイが原因とも言われているようですが、彼はアマチュアリーグへの参戦を望み、サッカーを続けています。

何憶義(He Yiyi)さんが、このような言葉を語っておられます。

◼️人生に対して、前向きになるべきだ

◼️内に閉じこもって泣いているだけではいけない。

◼️自分を救えるのは、自分だけだ。

◼️他の人を笑顔にできる方が良いでしょ。

何憶義(He Yiyi)さんの言葉には、私たちに向けた、大切なメッセージが込められています。

とても愛を感じます。

左足を失い、失意の中におられるはずなのに、自らが頑張ることで、そして、自らの頑張りを周りのみんなに見せることで、人を幸せにすることを、考えている。

彼はフランスのプロリーグに入ることはできなかったが、サッカーをすることで、世界中の人々に、

「幸せとはなにか」を伝える、世界一のサッカー選手なのだと、確信した。

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🟨骨肉腫サバイバーとしての生き方

私はガン発症から数十年経過した今でも、「ガンを発症した理由」を考えることがあります。

ここで言う、理由とは、ガンの発症原因のことではなく、「ガンを発症した人生の目的」のことです。

幼くして発症する難病には、何かのメッセージが込められていることを、理解することが私の使命のように感じるのです。

前述の、何憶義(He Yiyi)さんの場合も同じく、こどものときに、骨肉腫を患った。

そんな、何憶義(He Yiyi)さんからのメッセージが、こちらです。

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🔷人生に対して、前向きになるべきだ

🔷内に閉じこもって泣いているだけではいけない。

🔷自分を救えるのは、自分だけだ。

🔷他の人を笑顔にできる方が良いでしょ。

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🟨これらのメッセージについて私の想いを綴ります。

1️⃣ 人生に対して、前向きになるべきだ

病に対する私たちの想いは、ネガティブになりがちです。

それは、その人の立場になって考えると、仕方のないことなのかもしれません。

しかし、自身の考え方を少しだけ変えることで、少しだけポジティブの方向に、気持ちが傾き、

それを維持したまま、前に進むと、自身の気持ちの持ち方や、考え方、心の状態の全てが、良い方向に向いてくるものです。

結果、良い状態に落ち着いたとき、自身のことを振り返ってみますと、

それらの良い結果を招いた最初のきっかけは、「自身の考え方を少しだけ変えたこと」だったのです。

わたしは、この事を実際に経験し、実感することができました。

人の想いを簡単に変えられないことも理解していますが、

以外にも、その想いを大きく変えるきっかけは、ほんの一瞬の変化によるものだったのです。

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2️⃣ 内に閉じこもって泣いているだけではいけない

私は右足の付け根部に骨肉腫を発症し、主治医の先生から、末期のがんであることを告知された。

さらに、命を助ける手段として、右足の切断という重い決断を告げられた。

当時の私の年齢は、わずか10歳だった。

私が手術室から出てきて、自らの右足が無くなっていることに、その時初めて知ってしまえば、パニックになる。

そのことを予想して、パニックを避けるために、事前の告知を決定したそうだ。

しかし、後にも先にも、私に告げられることには変わらない。

わたしは大きな衝撃を感じた。

泣き出して、わめき散らしたいが、そんなことをしても、事態が良化するはずもない。

告知を受けてからは、しばらくの間、心のなかで激しく泣いていたことを思い出す。

その無い声を、両親に知られないように、グッと堪えた。

それは、わずか10歳の私にできる最大限の努力だった。

しばらくすると、少しだけ気持ちが楽になった感覚を覚え、人と会話ができるようになった。

生きることに前向きな気持ちが芽生えたのは、入院していた病院の主治医の先生や看護婦さんとの会話がきっかけだった。

★私の心の言葉を文字にすると、こんな感じだった

「私の手術の準備を大勢の大人の人がやってくれている」

「なんだか、命が助かるかもしれない気がしてきた」

「頑張るしかない」

「もう泣かない」

そして、数日後、わたしは運命の日をむかえた

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3️⃣ 自分を救えるのは、自分だけだ。

病を患う患者さんのことを、どんなに愛していたとしても、病を身代わりになってあげることは出来ない。

どんなに、優しく愛情を持って接してあげても、患者さんの病が即座に完治するわけではない。

とても厳しい表現であるが、実際に本当のことである。

結局は、自分の病は自分自身の身体に発症しており、それは、紛れもない事実なのだから、それを受け止めて病と向き合わなくてはいけない。

病に対しては、「自分の病は、自分の責任として覚悟をして望むしかない」と思う。

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4️⃣ 他の人を笑顔にできる方が良いでしょ

自らが命に関わる病になっている時に、「利他愛」の気持ちになることは、とても素晴らしいことであるが、とても難しいことである。

しかも、これを実践できる人は、とても少ないし、とても超越した愛の持ち主なのだと感じるのです。

自らの運命に、ネガティブな感情を持ち、気分を下げてしまえば、周りの人はあなたを慰めてくれるだろうけど、同じように悲しませてしまうはずだ。

周りの人を笑顔をするためには、たとえ病に付していたとしても、自分自身が明るく笑顔になれば良いのだと理解することが大切だと思う。

そして、自身の周りの人が笑顔になった時、その笑顔が、また、笑顔の人を引き寄せて、結果、笑顔に囲まれた明るい未来になっていくことを信じていくべきだと思うのだ。

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🔷この記事の関連書籍はこちらです。

生き抜く力【ガンと闘う10歳の僕に起きた奇跡】|ほっし校長|note

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ほっし校長

10歳の時、100万人に1人の確率で発症の希少ガン(骨肉腫)を発症。
主治医からの、ガン告知と右足の切断と余命の宣告。自らの経験から、ガン患者さん、特に小児ガンの子供たちの心を世界中に伝えたい。

At the age of 10, one in one million people develops a rare cancer (osteosarcoma).
Cancer notification, amputation of right leg and life expectancy from the attending physician. From my own experience, I would like to convey the hearts of cancer patients, especially children with childhood cancer, to the world.

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