小児がん(骨肉腫)を発症した僕が手に入れた宝物
それは奇跡の宝物
唯一無二の大切なもの
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私はプロダンサーです。
信じられないかも知れませんが、
右足付け根部に骨肉腫を発症したにも関わらず、
骨肉腫発症から約20年後
私はプロダンサーになりました。
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私は10歳の夏、右足付け根部に骨肉腫を発症した。
主治医の先生は、その私の状態から絶望的な結果も想定したくらいの状態だった。
なぜなら、当時は骨肉腫自体の症例がほとんどなく、1/1000000 (100万人に1人程度の発症確率)のため治療や執刀を経験した先生も少なかったようだ。
私は、主治医の先生から、ガンの告知と、余命宣告、手術ができた場合の右足切断の説明と、承諾の依頼をされた。
右足を切断していれば、私の今後の人生にとって、とても大きな影響を与えることになったであろう。
しかし、手術までの約1週間の間、
「右足切断後の人生の歩みかた」
を考えるための心の余裕も、時間もなかった。
そもそも、この世で10年しか生きていない私にとって、この先の、数十年の人生設計することなんて出来るはずがない。
もし、当時、私の右足が切断されていたとしたら、
今、
そして、
今に至る間の、人生経験は全く異なった過程と結果になっていたのだろう。
私の右足は、今も生きている。
手術の際に、ガン転移した組織を一部取り除いているため、手術から40年経った今でも、少しだけ歩きづらさを感じるときはあるが、通常生活に何ら支障はない。
私がプロダンサーになった経緯は、こちらの記事をお読みください。
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私は、ダンスを通じてたくさんの仲間ができました。
そして、
ダンスを通じて人生を楽しんできた。
そして、幸せを感じながらダンスを踊り、
そのダンスを人に見てもらうことで、
人に幸せな気持ちになって貰うこともできた。
私の右足は、百万分の一いや、一千万分の一の確率で奇跡的に残された、
奇跡の右足なのです。
小児がん(骨肉腫)を発症した僕が手に入れた宝物
それは、奇跡的に残された右足
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当時の執刀医である院長先生は、私に言いました。
「数日発見が遅れていたら、右足は切断していたかもしれません」。
「助かった右足を、これからたくさん使って活躍してあげてください。」
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この右足は私の人生の友です。
共に癌と闘い、癌に勝った右足は、私にとっての宝物です。
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