◼️乳ガンサバイバーさんのエピソード
こちらは、実際に乳ガンを発症し、現在もガンと闘う方にエピソード取材し、記録したものです。
なお、こちらのエピソードは、ご本人の了解を得て公開しており、当ブログ(ほっし校長ブログ)及びTikTok(ほっし校長)のみで限定公開いたします。
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【厳重注意】
許可なくこちらの記事を引用及び公開することを固く禁止いたします。
なお、その様な行為を見つけ次第、通達なく、直ちにしかるべき処置をとらさせていただきます。
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◼️ほっし校長⇒乳ガンサバイバーさん
さばちゃん、
お疲れ様です。
さて、エピソードの質問させていただきます。
①主治医の先生から、ガン告知を受けたとき、どんな気持ちでしたか。頭に浮かんだことばや、誰かの顔、何でも良いですので、教えてください。
◼️乳ガンサバイバーさん⇒ほっし校長
はい、
私は健診を毎年2月に受けておりました。
昨年はインフルエンザ流行ると言ってたので、
10月に入る前に健診に行きました。
先生も、
「再来年でも良いのにと、笑い話をしてました。」
しかし、後日、
「ガンの疑いがある」との電話連絡がありました。
電話の内容は、
「精密検査のため、大きな病院へ行ってください」
との事でした。
早速、精密検査のため大きな病院へ
そして
精密検査を行う2週間の間に、
別の部位にも、
ガンの発症が見つかったのです
検査中に転移したのか
もしくは、
検査で発見できなかったのか
今となっては、もう分かりませんが、
そこで、
先生に詳しく聞いてみました。
私の身体に発症したガンは、
希少ガンの一種で、
特殊型乳がんの粘液ガンだと、分かりました。
このガンは、
しこりもできず、
見つけにくいのが特徴でした。
発症確率は、約3%と希少であり、
当時は、過去のエビデンスもない為、
細胞医学の進展の為に、
ガン細胞の提供を求められました。
そして、
病院からこのように言われました。
「進行が遅いから、発見が遅れた」
とのご説明でしたが、
今、思えば、怖くてたまりません。
【ガン告知を受けたとき】
先生の言葉は、
全く私の耳には聞こえず…
口をパクパクさせて、
話してる姿にしか見えませんでした。
話してる事は、
私の耳には
全く音に聞こえませんでした。
「先生は何してるのだろう」
「誰に話してるのだろう」
「何言ってるのだろう」
時間だけが過ぎていくのに、
自分だけポツンと宙に浮いた感じでした。
そこからが
とても辛い日々でした。
なかなか、
その現実を受け入れられず
9ヶ月経った今、
やっと、
自分が癌だと理解できました。
自分自身に発症したガンを
自分で理解することができました。
そして、
【私には、他にも、とても心配なことがありました】
「私に何かあったら」
「息子はどうなるのか」
それ以外は、
浮かびませんでした。
ガン発症当初は、
ガンを受け入れることができず、
「何かの間違いに違いない」
「先生誰の事話してますか」
と、全く受け入れることができなかった
現実は、
保険も、がん保険なんか
安いのしかかけていないし、
なんで?
どうしたらいいの
何
どうしたらいいの
こんな思いばかりが交差する
そして、
とうとう、
パニック障害が出てきました。
今、振り替えると、
そこには、ずっと、
ガンを受け入れてない自分自身がいました。
さて、
さらに、
エピソードの質問をしますね。
さばちゃん、
少し難しいことお聞きしますね。
発症から9ヶ月経過して、
ようやく、
自分が、ガン患者となったことを理解できた
とおっしゃっていましたが、
「ガン患者となったことを理解する」とは、
どういう思考でしたか
ぜひ、ご自身の素直なお言葉で教えてください。
よろしくお願いします。
はい、
理解はなかなか難しく、
先ず理解できてない自分にも気が付かなかった。
医師の話す言葉は全く耳には入って来ず
どこを見ても、
何してても、人の声が聞こえない
自分がポツンと孤立状態に思えたのです
何してても自然に流れる涙
ただ思うのは
このままじゃ
いけないっていう思いだけでした
そんな思いも薄れたり、
又強く思ったり、
とても不安定でした
それからの私は
SNS TikTokを始めたのです
それはセカンドオピニオンの医師に、
貴女みたいな人は沢山いる
その人へ伝えて、勇気を与えるのですよ
貴女ならできると
言われた言葉が頭の中に残ったまま
半信半疑でした
私にこんなこと、
メンタルやられてる私に
何ができるのだろうか
素直に正直に
今の思いを投稿した。
今思えばその日から
コツコツ9ヶ月続けると
徐々に、私にも変化が見えてきました。
会った事もないTikTokの方々に、
メッセージを沢山頂けた
あぁ
心配される喜びと、その有り難さ
私の事、
心配してくれる人がこんなにも居るんだ
そして、時には
コメントのやり取り
そこからLive
つまりは、
直接、私の声と姿を見て頂きながらの
トークLive
沢山のコメントも貰いました
もう嬉しくて
たまらなくて
楽しくて
しかたなくて
時間が過ぎるのを、
忘れて夢中になったものです
だって、
私の事心配してくれる
人がこんなにも居るなんて、
そう思うと
嬉しすぎる
喜びが溢れました
味わった事のなかった
喜びだった
波はあるけど
泣いたり笑ったり
だけど…
みんなそれを受け止めてくれて
そして、
私にアドバイスもくれて
もう、
感謝しかありません
そして、
いつしか
私も、しっかりしなきゃ
私は強くなるぞ
っと、思えて来たのです
私より、
もっと大変な人が
私を
応援してくれてるのだから
私も、
早く元気にならなくっちゃ
いけない
そして、
日々Liveの積み重ねで
2回目の手術は、
手術を受けるのではなく
手術に
挑むという感じでした。
もう、
嬉し涙しか
流す事はない、と確信したほどでした
笑って過ごせるなんて
信じられない程の
元気な私になれた
私が今回学んだ教訓です
・人はひとりでは生きていけない
・話を聞いて貰える環境は大切
そして、
・ひとりで悩まず
TikTokは、私の中では
もう生活の一部になってしまった
だからこそ、
無理はせず
そのままの自分を
曝け出し
受け止めてくれる
皆んなが居る
私はSNS TikTokを通じて、
こんなに元気になれたのです
感謝の気持ちを、
どこかで泣いてた
自分みたいな人が
沢山居るのだと
なら私が今度助けたい
そう思う様になりました
例えSNSでも
辛い気持ちを聞いてくれる
環境の有り難さ
考え方
気持ちの持ち方で
必ず変わる
それを伝えたい
ご縁に感謝し
日々気持ち強くしてくれたSNSに
感謝しつつ過ごしています。
さばちゃん、ありがとう
とてもパワフルなさばちゃんは、
ご自身の感情をそのまま
言葉にして発してくれましたので
私に、直接に感情が伝わりました
きっと、
この記事を呼んでくださった皆様にも
さばちゃんの思いが、
熱い気持ちが
伝わったのではないでしょうか
さばちゃん、
貴重な体験エピソードを
ありがとうございました
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