骨肉腫サバイバーダンサー
∽∽一話で学べる人生の教訓∽∽
夢中になれることには、とにかく
我夢沙羅(がむしゃら) にやってみる
理想の自分に近い人を見つけたら、
お手本にして、同じ行動をしてみる
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∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽自己紹介∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
私は、元プロダンサーです。
信じられないかも知れませんが、右足付け根部に骨肉腫を発症したにも関わらず、
骨肉腫発症から約20年後に、私はプロダンサーになりました。
いや、信じられないと思っていたのは、私の周りの人こそ、そう、思ったことでしょう。
私は、10歳の夏に骨肉腫を右足付け根部に発症。
下腹部の範囲から足の付け根までもが、見た目にも異常に腫れ上がり、
癌細胞の転移が広範囲に広がっているおそれが疑われる状態でした。
主治医の先生は、その私の状態から絶望的な結果も想定したくらいの状態だったようです。
その為、手術の計画では、右足を付け根から切断することも検討されていたようです。
私は、主治医の先生から、右足切断の説明と、承諾確認をされました。
右足の切断は、私の今後の人生にとって、とても大きな影響を与えることでしょう。
もし、当時私の右足を切断されていたら、
今、そして、今に至る人生経験は全く異なった結果になっていたのだろう。
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∽∽∽∽∽∽∽∽∽ 一stage ∽∽∽∽∽∽∽∽∽
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持病持ちの私は、昔からいわゆる、運動のできるスポーツマンタイプに憧れを持っていた。
そして、その身体を得るにはスポーツジムに通う以外には方法がないと、思い込んでいた。
私は、この年の春から、このスポーツジムに通うことになった。
会員番号300番代の会員証と、大きなスポーツバッグを持ち、スポーツジムに入会した。
そこには体つきのガッチリした、男性、女性のスポーツインストラクターが出迎えてくれた。
理想的な身体のインストラクターはさらに、とても爽やかな笑顔だった。
私は、理想的なスポーツマンタイプに変身できることに確信が持てた。
私は、初日から毎日ジム通いした。
住まいのアパートから徒歩10分程度の道のりは、いつもワクワクだった。
週末、仕事が休みの日になると、一日3回(午前中、昼食後の午後、そして晩ごはん後の夜)通い、完全に常連さんとなった。
そんな通い方をしていた私は、インストラクターに顔と名前を覚えてもらい、頻繁に声をかけられるようになった。
ジム通いの当初は、数々のマシンで黙々とトレーニングをしていたが、ダンススタジオやプールには行けなかった。
これまでまともに運動をしてこなかった私は、その領域に入る勇気ときっかけがなかった。
特にダンススタジオには、一部の会員しか利用していない感じだったが、
スタジオ利用者があまりにも少ない日は、ダンスインストラクターがスタジオ外の会員に声をかけて誘っていた。
しかし、みんなスタジオ参加には消極的だった。
私は、敢えてスタジオから少し離れた場所のマシンを利用していたため、誘われることはなかった。
遠目に、ダンススタジオ内で、ハードでかつ、大胆な動きで生き生きと運動している会員さんたちを見て、羨ましく思った。
こうして、ジム通いを始め約1ヶ月後くらいに、とうとうその日がやってきた。
私は、ダンススタジオデビューを果たした。
◆一話で学べる人生の教訓◆
① 夢中になれることには、とにかく
我夢沙羅(がむしゃら) にやってみよう
② 理想の自分に近い人を見つけたら、
お手本にして、同じ行動をしてみよう