〖短編小説〗幸せの泉【小児がんサバイバーの私が描く物語】22話

〖短編小説〗幸せの泉【小児がんサバイバーの私が描く物語】22話

🔷補足説明
第5話に登場する従兄弟のお兄ちゃんは、実在した人物です。
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お兄ちゃんは、僕が小学1年生のときに高校生だった

高校で、部活の軟式テニス部で活躍したお兄ちゃんは、真夏のテニスコートで突然倒れた

お兄ちゃんは、当時はまだ病名のない難病を発症した

難病を発症した、お兄ちゃんの最後は壮絶な状況だった

病気で痩せこけ、骨と皮膚だけの姿に

軟式テニスに熱中していたあの頃は、身体も大きくがっちりとして、あんなに体格が良かったのに

何度も繰り返し行われた手術

お兄ちゃんはとうとう、植物状態になってしまった

意識はあるが、全く動かない

ただ、個室ベッドに横たわっているだけだった

お見舞いに来る大人たちは、
お兄ちゃんの姿を見るなり、その変わり果てた姿に
言葉を失い

すぐに病室の外に

皆、号泣していた

僕は当時小学1年生だったが、

お兄ちゃんのいる病室にはいれて貰えなかった

そして、主治医の先生が、「最後の夜」と告知した日

親戚一同がお兄ちゃんのもとに集まった

そして、その日の夜遅くに、お兄ちゃんは、
病室で亡くなった

お兄ちゃんは天国に旅立った

結局、僕は病室には入れてもらえなかった

お兄ちゃんと一番多く遊んだのは、僕なのに、

それなのに、

最後のお兄ちゃんに会わせて貰えなかった

僕は、高層階にある病室の外、

廊下から外を眺め、

夕暮れから夜景の見える時間帯まで、
ずっとその場所を離れずにいた

お兄ちゃんからは、ずっと僕に声が届いていたからだ

「ありがとう」って、ずっと繰り返し僕の心に

お兄ちゃんの声が届いていた。

次回に続く

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🔷短編小説執筆に至った背景

私は10歳の夏、小児がんを発症しました。今から40年も前のことでした。当時はまだ症例が少なく、100万人に1人の発症確率だとも言われていた希少癌で、骨肉腫という病名です。
発症した場合の生存確率も極めて低かったのです。
当時の私は、なす術のない状況に、
空想することが心地よく、唯一の希望の光になっていました。

🔷この世の中には、

「どんな難病も一瞬で治す魔法がないかな」

「癌を治すぬり薬はないかな」

「お薬だけで骨肉腫は治せないかな」

「一口飲むだけですべての難病を治す湧き水の泉はどこにあるかな」

「あればいいな」

「突然、届くといいな」

そんな空想に、自分の心を慰めていたものです。

「自分が癌になったなんて、嘘であって欲しい!」

「診断ミスであって欲しい!」

しかし、現実は厳しく、

確実に自分に向かってくるのです。

私が思うに、

🔷がんが治るというイメージを持つこと

🔷がんを治したいという希望を持ち続けること

などは、実際のがん治療に心理的な面で、良い効果を生み出すような感覚があります。

少なくとも、前向きな空想に入ることで、過度のストレスを緩和する働きを私は、幼少期に小児がんと闘っている時に、実体験した経験からお伝えしたい。

その効果を試すためにも、この短編小説の執筆を始めました。

🔷この短編小説は、定期連載しますが、皆様からの感想を募集いたします。

🔷毎回の投稿ページのお問い合わせフォームからご感想をお願いいたします。

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ほっし校長

10歳の時、100万人に1人の確率で発症の希少ガン(骨肉腫)を発症。
主治医からの、ガン告知と右足の切断と余命の宣告。自らの経験から、ガン患者さん、特に小児ガンの子供たちの心を世界中に伝えたい。

At the age of 10, one in one million people develops a rare cancer (osteosarcoma).
Cancer notification, amputation of right leg and life expectancy from the attending physician. From my own experience, I would like to convey the hearts of cancer patients, especially children with childhood cancer, to the world.

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