神様は僕にチャンスをくれた

今は、そう思えた

今はもう、過去の記憶となってしまったが、
その頃は、

僕の発する言葉の全てを監視された

僕の態度、反応、表情が全て、父親にとって監視対象となり、

意にそぐわないことは、厳しく身体で罰せられた

僕は、神に祈った

しかし

その祈りは湯気のように一瞬で消えた

僕は机の引き出しに、人が持ってはいけないものを所持した

そのものは、

人が人を裁く道具だった

決して、使ってはならないものだ

もう、これしかなかった

僕の精神状態は、限界というレベルを越えてしまっていた

ことの後や先なんか考えられない

使ってしまえば、

僕の人生は、人として生きていけなくなることも
分かっていた

父親が帰宅すると、いつも

悪魔が僕の耳元で囁いた

しかし、僕はその道具を使わなかった

ぐっと堪えて、耐えた

ぐっと歯を噛み締め、微動だにしない

その噛み締めた力は、頭蓋骨に伝わり、

両眼、両手、両足、そして心臓を強く拘束し、

硬直させた

僕は耐え抜いた

それが僕の身を滅ぼす原因となったとしても、

たとえ、心を砕くことになろうとも、

耐え抜くことをやめなかった

そう決めてからは、僕は大きく変わった

いつもと変わらぬ、父親からの厳しい躾に対しても

強固で重厚な石像のように、微動だにせずの姿勢を貫いた

しかし、

耐え抜くことは、予想をはるかに越える辛さがあった 

そして、

「あー、もう限界だ」

そう感じた頃、僕は骨肉腫になった

「あんなに辛い思いを、耐えてきたのに、」

「さらに、辛い試練なんて、」

小児がんになったことで、僕は神様につめよった

「どうして、」

「どうして、僕にばっかり」

枯れた涙は、一粒も流れなかった

辛くて、情けなくて、

しかし、

あれから43年の月日が流れ、

その出来事の理由がようやくぼんやりと

見えてきた

やっと理解できるよう、精神的に成長したのだと

思った

それらのすべての出来事は、

神様からの掲示だった

今は、そう思える

小児がんを発症した僕は、家を離れて、

ながい入院生活が始まった
 

僕の家は、その日から病院になった

僕はその日から、

父親の厳しい躾から解放された

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ほっし校長

10歳の時、100万人に1人の確率で発症の希少ガン(骨肉腫)を発症。
主治医からの、ガン告知と右足の切断と余命の宣告。自らの経験から、ガン患者さん、特に小児ガンの子供たちの心を世界中に伝えたい。

At the age of 10, one in one million people develops a rare cancer (osteosarcoma).
Cancer notification, amputation of right leg and life expectancy from the attending physician. From my own experience, I would like to convey the hearts of cancer patients, especially children with childhood cancer, to the world.

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