自然との会話を楽しむ私
周りには、私のことをそんな風に観ている人がいるのだろう
孤独に置かれた私
私は決して、好きで自然と会話をしていたのではない
私は、本当は孤独だったのだ
運命か宿命かわからないけれど
孤独の世界に身を置くと
自然との対話ができるようになった
自然は、決して言葉を返したりはしないけれど
私が語りかけると、分かりやすく反応してくれる
自宅療養中、ベッドの上から窓越しに見える小枝の葉っぱ
風に揺られながら、私に存在をアピールしてくる
小枝の先にぶら下がった葉っぱは、私にその姿を観てほしかったのだろうか
風が吹いても、雨に打たれても、小枝にしがみついて
その辛い環境内の、
それでも耐える、勇ましい勇姿を観てほしかったのだろう
時折、私の目を惹き付けるように大きく揺れたり回転したり
そして、いつも決まって、私がじーっと観ていると、いつの間にか眠ってしまう
その心地よいタイミングは、療養中私の心を癒してくれた
穏やかに眠って、安らかに、
心地よくさせてくれた
私は今でも、自然との会話を楽しむことがある
読書をしているとき、
執筆をしているとき、
それらの手を止めて、ボーッとした瞬間に、
何もしなくなった、その瞬間に、
そのタイミングは訪れ、始まる
言葉は交わさない
その代わりに、気持ちが支配される
たとえ、自然が辺りいっぱいに満たされたとしても、
市街地の少数の街路樹であっても、
私の脚を止め、手を止めて、語り掛けてくる
そこに言葉はないが、
そのインスピレーションに似た感覚が私の気持ちを支配し、
心地よく語り掛けてくる
私はその自然に対して敬意を示し、写真や映像を残すのだ
私の写真はそんな経緯から撮影したものがほとんどだ
noteで公開していたり、私のブログで配信している記事に添えられた写真や映像は、それを観た人からメッセージをいただくことが多い
きっと、それらを観てくださった方にも、そのインスピレーションが伝わったのかもしれない
当時、闘病中に私の気を惹いた、あの葉っぱは、その後小枝との手を離し、上空に舞い上がった
しかし最後の瞬間のインスピレーションは私には伝わらなかった
いつしか、失われた葉っぱと小枝には、新しい新芽が葺いていた
そのメッセージに気がつかなくなったのは、
私の心が幸せで満たされているから、なのだろう
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