僕が家庭の平和を壊した日から43年目の夏
【息苦しき心の存在】
ガン告知をされた僕は入院前に、自宅で身体を休めていた
そんなとき
僕の母親は、僕を見守るように、いつもそばにいてくれた
父親は、会社帰りには必ず僕の顔を観て、笑顔を見せてくれた
しかし、
僕は両親の、その優しい気持ちに応えることができず、いつも無言だった
でもね、心のなかでは叫んでいたんだ
いつも、常に、助けを求めていた
だけど、どうしょうもないことだって、
理解していたから、
声に出せなかったんだ
僕の家庭は、小児がんの告知以降、ものすごい勢いで崩れ、壊れていった
僕は、その事が重荷だった
母親と父親の優しさが重荷となって、僕を押し潰した
僕にはよく分かったんだ
母親も父親も、僕に気を遣っている
だけど、二人とも、
「ガンをきっかけに平和な家庭が壊れた」
と思っているにちがいない
苦労に耐えきれず、父親が発した言葉を今も忘れない
「みんな我慢してるんだ、お前も辛いだろうけど、協力して貰わなきゃ困る」
しかし、その「協力」って、
僕が相手にあわせて、笑顔になるってことだった。
お見舞いにきて貰えるのは、本来嬉しいことなのだが、僕は、父親のこの言葉をきっかけに、
お見舞いを素直に喜べなくなったのだ
僕は、希少ガンになり、生き続けることを誰からも保証されない身体になってしまった
そんな状況で、笑顔には慣れなかった
僕は、文字通りの
「家庭の平和を壊した子供」だと自覚した
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